<星空華劇団>嫌なの方
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というわけで
行ってきます。
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扇風機のこと
自室で使っている扇風機がもうお年をいっているのですね。
動くことには動くのですが、首振り機能が壊れたことを皮切りに

首の上下を動かす部分が壊れて終始うつむき状態

カバーのストッパーが馬鹿になって簡単に外れてしまう

羽が破損してしまって以来、騒音を撒き散らすようになる

などなどの欠陥が毎年恒例で付加されていったのです。
それはもうマグネヒャクレッガーに特技を封印されていくがごとくでした。
お年じゃなかったですね。すいません。故障といったほうが正しかったです。

毎年夏が来ると「今年こそは買い換えよう」とは思うのです。
ですが、どうも気が止まってしまってやめてしまってました。

というのも、この扇風機はもともと自分の兄のものでして、
兄が高校のころにバイト代で買ったものを、ほとんど奪うような形で自室で使っていたのです。
いまさら返すこともできませんし、扇風機を買い換えれば、今あるこれは捨てるわけですから、そのために買おうとする度にためらってしまうのです。
新しいのを買って渡せばいいじゃん、と思っても素直に受け取ってくれる性格でもない。そもそも兄本人は未だに怒っているというわけでもない。
当時自分の中にあった罪悪感が未だに燻っているということが扇風機を買えない原因なのだから、気にせず買っちゃえばいいじゃん、というのが自分の中での結論です。

ですが、やっぱり気がかってしまっているのも事実ですし、兄が新しい扇風機を買うなりエアコンを購入するなりしてくれれば、こっちも気兼ねなく買い換えれるのになと思っていました。

そんな折のこと、今年の6月に兄が
「家に羽のない扇風機が届くかも」と言ってきました。
どうやら通っているスポーツジムの抽選が当たったとのこと。
これでこっちも気兼ねなく買い換えれると、自分のことのように扇風機の当選を喜び、いまかいまかと届く日を待ちわびました。

そして現在。
ジムから帰ってきた兄
「なんか届くのにもうちょっと時間がかかるって」

すいません。もう夏、終わりそうなんですけど……

夏ということで
夏だからだろうか。私は心霊現象に悩まされていた。
一人で本を読んでいるときに聞こえてくる声や、寝ている時に、ふと夢から引きずり出されるかのような圧迫感。故郷を離れ、1DKのアパートで暮らし始めた私の身には、それは思いの外堪えていた。
最近は意味もなくテレビを付けている時間が長くなったと思う。つまらないつまらないと愚痴っていたタレント達の大げさなリアクションも、今はどこか心強い。だけれど、さすがに何時間も見続けていられない。買い物に行こうかと腰を上げた。
ふと壁に掛けてある写真立てに目が入った。今は何も張られてなく画鋲だけが空虚に刺さっているだけだった。前に貼っていたのは、学生時代に友達といった最後の旅行の写真だった。とても思い出深いものだけど、一昨日にふと見つけてしまったのだ。
準備ができたのでテレビを消そうとリモコンに手をかけた。消えない。クーラーは……だめだ。最近はもう慣れた。はっ。節電なんかクソくらえよ。
誰に向けて怒鳴ったのか自分でもよくわからない。
ただ何でもいいから当たり散らしたいくらいにイライラしていた。

その夜、私は心霊現象の正体を知った。
「○○!」
うちに帰り玄関の電気をつけると中学時代の親友のNが立っていたのだ。
Nの姿に私は心臓が飛び上がりそうなほど驚いた。その姿は中学の頃とまったく変わっていなかった。
私は中学生の頃を振り返る。一番の親友だったN。彼女は3年の夏を境に学校から姿を消した。行方不明だった。
Nは私に気づいてもらうために何度も声をかけていたそうだ。あの心霊現象はNの仕業によるものだった。

目の前にいるNの姿はあの時と変わっていない。あまりの不自然さに恐怖を感じてしまう。
「○○! 会いたかったよ」
「本当にNなの」
確認せずにはいられなかった。
「そうだよ。どうしてそんなこと聞くの」
「あなたはもう死んでいるのよ」
「ウソよ。だってこうして生きているじゃない」
私はNにその姿は幽霊であること。Nが行方不明になってからすでに7年が経ってしまっていることを説明した。
Nは信じようとはしなかった。
「ウソよ! だって私は生きてるわ!」
「Nがそう思っているだけだよ!」
思わず怒鳴ってしまう。恐怖を通り越して私はイライラしていた。自分が幽霊だと一向に認めないNに腹が立つ。それにいまさら中学時代の親友の霊がやって来ても困る。22歳になった私には新しい交友関係がある。仕事もある。しなきゃいけないことはたくさん溢れている。
「可哀想だけど、きっとあなたは殺されたのよ。それで山かどこかに埋められたんだわ」
「ウソよ! だって私は生きてるわ!」
「いいかげんにしてよ!」
とうとう私はキレた。
「死んだのよ、あんたは! 鉄パイプで頭を打たれて。3回もよ。それで死んでないってまだ言えるの!?」
さすがのNも黙ってしまったようだった。

懐中の話
 懐中という言葉がある。「ふところ」の「なか」という意味だ。

 懐中時計という言葉がある。まだ腕時計が発明されてない時代、時計は懐の中に入れて携帯された。
 懐中を使わずに「時計」だけと呼称する場合は、当然時計全体を指すことになる。その中に懐中時計は含まれるが「時計」は必ずしも懐中時計ではない。

 懐中時計が使われていた時代、財布も懐の中に携帯されていた。
 しかし、財布には「懐中」という言葉は使わない。なぜなら財布は元々携帯することを目的とした物だからだ。仮に携帯できる金庫というものが流通していた場合、それは「懐中金庫」と呼ばれていたのかもしれない。

 懐中電灯という言葉がある。もちろん電灯を携帯して使用できるようにした、筒状の照明器具のことである。
 ここで疑問に思うのだが、はたして懐中電灯は懐の中に収まりきれるものなのであろうか。近年のペンライト型の小型ライトならどうにかなりそうだが、懐中電灯の名前がついた当時にそんなものが存在していたとは考えにくい。
 例しにwikiで初期の懐中電灯を調べてみた。…………微妙である。入れようと思えば入るはずだが、一部懐からはみ出てしまいそうだ。
 もしかしたら、当時の文部省のお偉い方が、懐中電灯を懐にぎゅうぎゅうに押しこんで「これセーフでしょ。セーフでしょ」なんてやっていたことが懐中電灯という名前になった由来なのかもしれない。


 以上をまとめると、懐中という言葉をつけるには

 すでに存在する道具が携帯してしようできるようになる。
 それは厳密に懐に入るような大きさでなくてもよい

 あとは、着物が一般的な服装とされていた時代に存在していたものであることも必要だろう。携帯電話は懐中電話とは呼ばない。

 拳銃は16世紀にはすでに発明されていて、日本でも火縄銃が伝来した際には短筒という名ですでにあったものとされている。長筒の銃を小型化したもので近年では映画などでSPがスーツの内ポケットに忍ばせているシーンを見た人も多いことと思われる。上記の条件をすべて満たしている。

 では拳銃はなぜ「懐中銃」と呼ばれなかったのか。
 これはすなわち、悲しい人間の心情を表しているのではないだろうか。
 知っての通り拳銃には敵を殺傷させる用途を持っている。撃った相手を殺すほどの威力があるので、持っているだけでも相手を威嚇することができる。
 威嚇とはつまり、相手を信用していないという意味である。自分が撃たれるのではないかという恐れが人に拳銃を持たせ、相手につきつけてしまうのだ。
 つまり「拳銃」とは、懐にしまわずに、常に手の中に収めているということ。人は銃を持つことによって、逆に怯え、人を信用しなくなってしまうのではないだろうか。
 「懐中」という言葉がないと、そういう意味合いがあるように思えてしまうのである。


 回虫という言葉がある。寄生虫である。回虫にもいろいろな種類がいるが、犬を終宿主としているイヌ回虫は犬の体内に入ると心臓に、人間の体内にはいると肺臓に寄生する。
 少し懐に入りすぎではないだろうか。カイチュウというよりもキョウチュウと改名すべきである。
 
ようやく東方茨歌仙①②を読んだという話
 ずいぶん久しぶりにSSを書きました。

 闘萃と人の念

 ぱっと思いついて二日で書き上げた軽い話しです。やっぱこれくらいのが一番いいと自分は思います。

 元ネタは聊斎志異の「促織」。成名という男が上の役人にコウロギを献上しなければならなくなり併走する話です。
 SSにする際にはコウロギを萃香に置き換えました。酷いことをしたと思っています。


 実は聊斎志異を元ネタにした話は原作の東方茨歌仙にもあるんですね。
 八話の「狐の奸計」です。
 あらすじを説明しますと


 酒好きの狐がこっそり宴会に混じっていたのを霊夢に見つかり、退治されそうにされそうになりました。
 狐は「お金ならいくらでも出しますから」と言って見逃してくれるように頼みます。
 疑っていた霊夢ですが「二番目の灯籠の下にお金が落ちている」「裏庭の桜の木の下にお金が埋まっている」と聞いて調べるととの通りにお金が見つかりました。
 「もっとお金落ちていたりしないの」と霊夢が聞くと狐は「轍の中のたまり水などすぐに干上がってしまいます。もっといい方法がありますよ」と霊夢に富をもたらす狐として管狐を渡します。
 管狐の術者となった霊夢の神社には連日連夜参拝客がやってくるようになりました。
 しかし数日もすると霊夢はげっそりとやつれてしまいます。
 実は管狐は餌として術者の富と気力を大量に奪っていくのです。
 結局、参拝客から得たお賽銭は全部狐の手に渡ってしまいました。


 大まかに話すとだいたいこんな話になります。



 これの元ネタが聊斎志異の「酒友」という話しです。


 車という読書人はとにかく酒が大好き。酒に酔ったまま眠ってしまい、起きると隣で狐が酔いつぶれている。
 「狐なのに酒好きとは見所のある奴だ」と車は狐を殺さないことにすると、狐も感激して、以来二人? は飲み友達になった。
 しかし車の家は貧乏なので、あまり酒を買う余裕はない。
 狐はお礼にと「私の言うところを探してみてください」と言うと、そこにお金が落ちていた。
 「嚢中すでに自ずから有り、漫りに沽うを愁うること莫れだな」と車は喜びますが、狐は
 「轍の中のたまり水などすぐに干上がってしまいます。もっといい方法がありますよ」
 と言って別の方法を勧めます。
 なにを勧めたかというと、先物取引を勧めるんですよね
 狐の言った通りの物を買うと、後日必ずそれが値上がりしました。そのおかげで車の家は豊かになりました。


 と茨歌仙とは逆にハッピーエンドで終わります。
 ここで疑問に思うのがなぜ茨歌仙は聊斎志異と逆の結末を書いたのかということです。
 これは茨歌仙が仙人である華扇を主役とした話であるからだと思います。
 ハッピーエンドで終われば華扇が出る幕がなくなってしまいます。そのために霊夢はしっぺ返しを受ける役回りになってしまいました。

 これは茨歌仙全体から見てもそう感じます。
 他の作品に比べて、茨歌仙の霊夢ってなんだか頼りなく見えますよね。
 

 志怪小説の世界で仙人は主人公に何かしらの影響を与える存在として描かれます。白雪姫のなかの魔法使いのような役回りで、誠実な人間には手助けを、不誠実な人間には仙術で懲らしめます。単に仙術を披露するだけの話もあります。
 仙人が主役になることはありません。あくまで人間の視点で「こんなすげえ奴にあった」といった体型で書かれるわけです。

 茨歌仙を志怪小説の体型に当てはめればこの人間の役は霊夢にあたります。しかし一般の人間ならともかく霊夢に仙術を見せても驚きそうにありませんし、手助けを受ける程の緊急な事態に遭遇する様子もあまり想像できません。
 ですから、茨歌仙の霊夢は他の作品よりも欲に忠実で、手痛いしっぺ返しを受ける、ちょっと頼りないキャラになったのだと思います。

 個人的な話ですが、そんなちょっと頼りなさそうな茨歌仙の霊夢が今までのなかで一番可愛いと思います。


プロフィール

やな

Author:やな
星空華劇団というキョウさんのサークルを間借りしているもの。
現金収支表をしっかりと記載すれば貯金箱は必要なくなることに最近気がつきました。
2012年9月から中国に行っていきます。
ほぼ見る専だけどツイッター
https://twitter.com/#!/yanadox



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